2015年11月8日日曜日

ピーコとサワコ ピーコ/阿川佐和子(文春文庫)

「私は日本の女どもが色の感覚が悪いのは、日本にはいわゆる子どもの色ってあるじゃない?ああいう色を着せて育てるから、色のセンスが悪くなるの。」

この、ピーコの発言に何か感じるところがある方は、是非この本を読むべきである。

反感でもよいし、賛同を覚える方なら尚一層のこと。

べつに、本書では、辛気臭い説教話をしているのではない。

芸能界の裏話。誰某は振る舞いが卑しいとか。ファッションの話。
何が似合って、何が似合わないのか。

笑えるのである。暇つぶしには好適な本なのである。

しかし、それだけではないのだ。
芸能人という<非>常識の人が語る、きわめてまっとうな「大人」の常識が、
この本の中には詰まっているのだ。
 

2015年11月5日木曜日

愛犬家連続殺人 志麻永幸著(角川文庫)


2011年春。園子温監督作品「冷たい熱帯魚」が公開された。
この映画のモチーフになったのはまさに、本書の、愛犬家連続殺人事件である。
これは、この事件に共犯(死体遺棄)として関与した男の、モノローグ。

本書の<魅力>は、慄然とする殺人絵巻も勿論そうなのだが、
主犯格関根元のなんとも、とぼけた、コミカルな、そして人を食ったキャラクターである。
(人を食った、というのは比喩でないことに注意!)

残忍さの中にもクスリ、と笑いがこみあげてしまうキャラクター描写は、おそらくは手練れ
のゴーストライターによる筆致のなせる業なのだろう。共犯者とされる<筆者>の筆でなく。
というのも、本書の記述の水準まで、自分の置かれている状況を客観化ができるくらいなら、
おそらくは事件に巻き込まれるなどということはなかったと思われるのだ。

以下は、そんな関根元の「素敵な」セリフの抜書き。

「人間の死は、生まれた時から決まっていると思っている奴もいるが、違う。それはこの関
根元が決めるんだ。俺が今日死ぬといえば、そいつは今日死ぬ。明日だといえば、明日死ぬ。
間違いなくそうなる。何しろ、俺は神の伝令を受けて動いてるんだ」
「殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。殺しのオリンピックは本物の
オリンピックよりもずっと面白いぞ」
「大久保清はただのバカだ。ベレー帽を被りながら何人殺ったか知らねえが、あいつは死体
を全部残している。あんな馬鹿死刑になって当然だ。その点、おれは完全犯罪主義者だから
な」
「商売繁盛 殺しも繁盛」
「関根元の殺人哲学その一、世の中のためにならない奴を殺る。その二、保険金目的では殺
さない。その三、欲張りな奴を殺る。その四はちょっと重要だ。血は流さない。だが、一番
大事なのはその五だ。死体は全部透明にする」
「言ってみりゃあ俺は殺しの鬼平よ」

著者(というか口述者と呼ぶべきだろう)は共犯として実刑判決を受けている。
関根の手口が残忍なあまり、一連の事件に巻き込まれたことを「期待可能性がなかった」と
抗弁をしている。ある種のマインドコントロールにかかってしまい、警察に通報することが
できなかった、というわけだ。しかし、これはまことにもって身勝手な理屈だ(一審判決でも
このような抗弁は採用されていないはずである)。県警の取調官に不貞腐れて悪態をつく態度
のくだりは腹立ちを覚えるくらいだ。
この悪態の背景には担当検事との間で司法取引まがいのことがあった様なのだが・・・・。

復刊が望まれる一冊である。

兵士を見よ 杉山隆男著(新潮文庫)

三自衛隊を精力的に取材し、連載を続けている杉山隆男の第二作目である。
本作は航空自衛隊に焦点をあてる。
最初に目を引くのはやはり、F15戦闘機のパイロットたちの姿だろう。
あるいは九州にある飛行教導隊の存在だろうか。
杉山自身がF15に体験試乗し、その模様を報告するくだりも実に興味深い。
感動的なのは、救難活動に配転された戦闘機乗りの章である。
単なるお涙頂戴に終わらせるのではなく、自衛隊の人命救助の「現状」、
問題点をさりげなく指摘している点が実によい。
それだけではない。米軍との機器の「共有化」、
仕様の共通化の模様が書き記されている点を読者は読み落とすべきではない。
時折自衛隊がらみの論評で鋭い指摘を行う杉山であるが、
一本筋の通った主張の「根拠」がそこに見出されるのである。

夏の闇 開高健著(新潮文庫)

↓以下のレビューは読書メモ的側面があるため、
未読である場合には一読してから読まれることをお勧めする。
文庫版の解説でCWニコル氏が指摘しているように(P264)、
書き出しからして凝縮された表現(それは著者の深い教養に裏打ちされたものだ)
が乱舞する小説である。
小説の舞台は(明示的に示されてはいないが)1968年夏のパリ。
ベトナム戦争に従軍記者として取材経験をした小説家は、
戦場で遭遇した凄惨な体験を経たのちに、人間関係の折り合いが付けられずにいる。
終日、安宿の部屋に引きこもる。

かつて小説家と関係のあった女
(可能性のない日本を捨て、知識人としてドイツと思しき国で成功をおさめようとしている)
と再開し、食べて寝て交わっての「甘い生活」を繰り返す。
舞台を女の生活するボンと思しき街に移しても、男の無気力は変わらない。
女の今後の関係への「期待」と、小説家の「逃避」志向のギャップは、
女を苛立たせ、感情を激発させる。
気分転換で訪れた山の湖で男はいつになく能動的になるが、
山を降り東西分断下のベルリンで決定的なニュースを耳にする。

眠ること、性を貪ること、食べること。そして天候であるとか、
一日の日の移ろいの描写の魅力。感情を激発させた女と小説家の間の会話は
(P141~147、P232~236)、これでもかと言わんばかりに話法を変えることで、
その瞬間の緊張感を否が応でも高める。
身勝手な男の小説?
確かに、そのようにも読むことができるだろう。
話法を変えた痴話喧嘩の後の女の描写をみると、とくにそう思えてくる。

だが、それだけだろうか?
戦場で究極的な体験をした小説家は、生きる実感を日常の中で得ることができずにいる。
宮台真司のような言い方をすれば、
<世界>に触れてしまったため<社会>を生きることができない。
そしてまた<世界>へと回帰する。本書は、そんな小説なのである。

評論家江藤淳は、開高健の担当編集者である坂本忠雄氏が、
開高健を見捨てたために作家生命を「殺した」のだという。

ほかならぬ坂本氏は、ホストを務める座談集「文学の器」(扶桑社)で本書を採りあげ、
凝縮された表現ゆえに開高が苦しみぬいたという創作秘話を披露する。
一度ならず二度三度と、再読したい作品だ。その際、上記の「文学の器」の該当部分を参照すれば本作品の感興はさらに増すだろう。

名作である。

マクロ経済学の基礎理論 武隈慎一著(新経済学ライブラリ)

マクロ経済学は、何とも悩ましい分野だ。
ミクロと違って様々な学派が存在し多種多様な議論を学んでいかなければならない。
さらに、近年のマクロ理論の発展は動学的最適化理論など
高度な数学的素養の援けなしに理解は不能である。
このような理由で、初級を終えた学習者が上級に進むときに「挫折」しがちだ。
これはマクロ経済理論学習書の橋渡し的な文献が圧倒的に不足していたことにもよる。
本書の存在意義は、まさにそのような初級から上級への橋渡し的機能を担うことにある。
本書の全体を通じたトーンは、
中級レベルのミクロ既習者になじみの深い分析手法(比較静学)により特徴付けられている。
このことは、本書が公務員試験など資格試験受験の準備にも有用な学習ツールたらしめている。
難点を挙げれば、最終章の最適成長モデルの叙述が簡潔すぎる点。
上級レベル議論の出発点となるだけに丁寧な解説が望まれる。

テロリストの軌跡―モハメド・アタを追う 朝日新聞アタ取材班著

朝日新聞に連載されていた当時から、この本の基になった連載記事に注目していた。
貿易センタービルの凄惨な光景、
そしてアメリカによる戦闘行為といったテロ以後のことを語る論調が圧倒的で、
テロ以前のことを考えさせる記事に飢えていたからだ。
貿易センタービルに突っ込んだメンバーの一人、
モハメド・アタの留学時代を本書は丹念に追うことで、
イスラム世界と西欧近代社会との狭間で葛藤していたテロリストの「原型」をこれでもか、
とばかりに浮き彫りにしていく。
「乗客乗員92人を乗せた同機は、午前7時45分ごろ離陸する。
約一時間後、ニューヨーク世界貿易センタービルに激突した。」
本書のメインの部分はこの一行をもって締めくくられる。
この一行を語るために、数百ページが費やされた。
この一行を読む度に、ある種の戦慄を覚えるのだ。
地道な取材を続けてきた記者たちに敬意を表したい。

Elements of Dynamic Optimization Alpha C. Chiang 著

今や経済数学の基本中の基本書、Chiangの本の動的最適化バージョン。
とすれば、厳密な証明よりもまず、直感的な説明と豊富な数値例に満ちたスタイルが期待できる。本書もその期待に違わず、
今やマクロ経済理論の必須ツールとなった変分法の習得に大いに力を発揮する。
日本語で書かれた類書に手を出すよりも思い切ってこの本をトライするほうが、
かえって効率的な学習ができるはずだ。

Lectures on Macroeconomics Olivier Blanchard著 (MIT)

いまだ他の追随を許さない、上級書の決定版     
と、書いたが本書が出版されてすでに幾歳月。
マクロ経済理論業界の発展は目覚しく、
本書だけでマクロ理論のサーヴェイができないことをまず指摘しておきたい。
しかしながら、本書の第二章・最適成長モデルの部分、第三章などはいまだに価値は古びない。
とかく敬遠されがちな本書ではあるが、
なんだかんだいって最も叙述が(数式の展開においても)丁寧であることは否定できない。
本書を最低限読みこなすためのバックグラウンドとしては、中級レベルのマクロ・ミクロ理論を読みこなしておくこと、動学的最適化理論(とりわけ最大値原理)、動学方程式システムといった数学的準備が必要になる。

いかにして問題をとくか G・ポリア著(丸善)

名著。
今まで何故この本を読んでいなかったのか、悔やまれてならない。
高校一年程度の数学の知識で十分に対応できる水準。数学の問題をどう解くか?
という問題に直面している受験生はある程度知識が貯まったら目を通すとよい。
問題を理解する、計画を立てる、計画を実行する、振り返る。
本書見返りにあるチャートは一見凡庸に見えるが、
一般的にどう問題を解くか、
についてパースペクティブを与えてくれるような本はそうそうないはず。
何より読むべきは社会科学系の人間で、数学を必要とする人だろう。
この分野では数学の「結果」に関して、網羅的に扱っている本を通じ学習する機会が多い。
そのためか、例えば証明の戦略に関して意識的に書かれたものに出会う機会が少なくなる。
実のところ数学をどう「使うか」、
という段で必要な知識はこの本で述べられているような事だったりするのだ。
地味な版元から出てる本だが、見逃せない一冊である。

近代の奈落 宮崎学著(解放出版社)

第一作「突破者」も名著ではあるが、
奥の深さ、対象の重さ、そして汲み取るべき思想の数々、という点で本書は優る。
文字通り宮崎学の代表作となるだろう。
被差別部落を旅し、差別撤廃の第一線で闘ってきた歴戦の勇士を歴訪する。
あるものは既に故人となり、あるものはいまだ健在である。
いわゆる<同和利権>の存在が明るみになるなど、
部落解放運動をめぐる昨今の環境は生易しいものではない。
遅れてきた高度成長の果実を享受する姿勢は是としながらも、
「自前」の運動を失くしてきた運動の未来に危惧の念を寄せる宮崎。
そうした視点は、戦争に勝って差別を無くすというスタンスか、差別を無くして戦争に勝つ、
というスタンスかという究極の二択の延長線上にある。
そしてこの二択は独り差別の問題に留まらず、
あらゆる「異議申し立て」の思想に随伴する問題でもある。
中上健次と坂口安吾をめぐる見解には異論が無いわけではないが、
2002年下半期の名著に位置づけられるべき本である。

獄中記―地獄篇 ジェフリー アーチャー著

J.アーチャー。
日本でいえば作家都知事が牢屋に入れられたようなものだろうか。
政治的な主張も似てないこともないし。
あれはアーチャーがロンドン市長選に出るときだったか。
ロンドンの街中にはホームレスが溢れ、角々辻々に物乞いがいた(今も?)。
乞食を非合法化し、監獄にぶちこめ!とかいった公約?
をこの御仁は述べ立てていたように記憶する。素晴らしきサッチャー路線、というべきか。
そんないけ好かない野郎が偽証罪で投獄された、と聞いたとき、
ロンドンの物乞いのことエピソードを思い出し、自分が牢屋に入れられたらしょうがないだろ、と思ったものだ。
そんな偏見に満ち溢れた読者が読んだ感想-面白い!
この種の人間にありがちな鼻持ちならなさが微塵もなく、
英国の監獄制度、教育制度、社会問題の様々な負の側面を
(日本で売れてる英国賛美本ではお目にかかれない)余すところ無く記述している。
こんな人物が再度政界復帰を遂げたら、皮肉なしにいい仕事をするだろう、と思えた。
山本譲司元議員の獄中記と比較して読むのも一興だろう。

戦争における「人殺し」の心理学 デーヴ グロスマン著(ちくま学芸文庫)

兵士は実のところ、「人を殺したくはない」のだ。
大岡昇平の作品を読むまでもなく、戦場においてわが身と友軍を危険に曝しながらも、
あえて発砲しない兵士の存在は実に普遍的だった。
WWIIにおける米軍のライフル射手の「非」発砲率は80%、
という数字は何よりそのことを物語る。
距離が近ければ人を殺すのに伴う心理的な抵抗は高まる。
この距離は何も物理的なものだけではない。文化的、社会的、倫理的なものまで含まれる。
敵は神に歯向かう存在、という「合理化」、そして爆撃機のパイロットがいかに容易く引き金を引くか。「距離」があることで人は人を殺しやすくなる。
ベトナムにおける米軍の非発砲率は5%まで低下したという。
この劇的なまでの「進歩」は何を意味するか。
著者によれば訓練=動機付けの賜物だという。
殺人における「距離感」を克服する手段としての動機付け。
これは軍隊の中だけの話ではない。
日常に溢れる暴力的なメディアの存在も、
陰に陽に、殺し易くする動機付け機能を有しているのだ。
メディアの悪影響をめぐる議論は、「限定効果論」など枚挙に暇がない。
言論の自由と殺しの動機付けを秤にかけたとき、どちらに天秤を傾けるべきなのか。
この問題を考えるうえで、著者の提示する議論こそ広く読まれてしかるべきものである。

僕の叔父さん 網野善彦  中沢新一著(集英社新書)

考えてみたら凄いタイトルだ。
本書でも触れているとおり、叔父さん+おいの関係は、
人間関係の中でも最良のものだ。そしてそれが網野善彦と中沢新一なのだ。
ゆえに、中沢新一がこの本を書くのは宿命と言える。
この本は中沢新一による網野論だ。
したがって網野史学への効率のよい導入を期待するならいくばくかの失望をすることになるだろう。また、中沢の意図を十全に汲み尽くすには、本書には補助線の存在が不可欠に思える。
中沢の著作「蜜の流れる博士」所収の、中沢の父に関して書かれた文章がそれだ。
日本民俗学の非柳田國男的系譜-それは武田久吉であり、
折口信夫であり、渋沢敬三であり、宮本常一である。
そうした系譜の磁場に、中沢の父がいたのだ。
歴史のなかの「トランセンデンタルなもの」に目を向ける中沢父。
それはやがて石を投げる民の「発見」を通じて網野善彦の転回に結実することになるだろう。
重ねて言う。
本書の真価を実感するためにも、
いや、網野史学の土壌の上に花を咲かせる第一歩としても、
「蜜の流れる博士」との併読を勧めたい。

私のための芸能野史 小沢昭一著(ちくま文庫)

我が家に獅子舞が来たのはいつのことだったか。
確か30年前くらい?
以後、来ることはなかったのだが、この「断絶」も本書を読むと得心がいく。
要は伝承の困難ということなのだが。
門付芸、女相撲、浪花節、足芸、ストリップ・・・・・
民衆の伝統芸能といっても、博物館入りするような代物ではない。
いや、そのような扱いを拒絶されるような代物ばかりをこの本では扱う。
キーワードは遊芸稼人だ。
芸があり、生計が成り立つ、というのは基本線であるにしても、
アソビがない芸人はバランスが悪い。
旅の芸人はキビシサツラサセツナサばかりでは、ない。
そこに遊び半分がなければすこぶるバランスを欠くのだ。
とはいえ、このような芸人たちへの世間の目、卑賤視への配慮も忘れてはいない。
もと「芸人」たちは親族に気遣い、世を忍んで余生を送るものばかり。
そこにどう、アプローチをつけ、芸談を引き出すか。
小沢のインタビューそれ自体がひとつの芸なのである。

代官の日常生活 西沢淳男著(講談社選書メチエ)

代官といえば悪代官。イメージは悪い。
それを払拭する本だ。
歴史学者の本にありがちの、
文献の引用のオンパレードといった「悪癖」はほとんどなく、
すっきりとして読みやすい。
しかし、記述の裏にはしっかりとした学問的裏づけがある。
啓蒙書としての役割を十分に果たしている本なのだ。
江戸幕府の統治機構のかなりの部分を、代官機構は担っている。
どんな統治形態でも徴税機能は不可欠。
その意味で徴税の最前線にある代官に焦点をあてることの意味は大きい。
腐敗してるのはむしろ代官の部下とか、
公務をつつがなく遂行するには自腹を切る必要があるとか、
百姓と代官の虚虚実実の関係とか、
目から鱗の記述に読者は魅了されるだろう。
現代の官僚機構との比較、「官官接待」のありようなどには、
「昔とあまり変わってねーな」と苦笑することしきり、である。
歴史書の醍醐味はリーダビリティと目から鱗の意外性にあると私は思うのだが、
本書はその見事な見本といえる。労作。

君たちはどう生きるか 吉野源三郎著(岩波文庫)

戦前の旧制中学の生徒向けの本なので、
今から読むと少し「?」なところがある。
学校の雰囲気とかから察するに相当いい学校なのだろうから、
これを中学生一般のお話として無批判に読むのもどうか・・・と思ってしまう。
しかし、しかし。
それでもこの本は中学生から高校生が読むに値する本なのだ
(このレビューでは岩波文庫版を扱うが、中高生が読むならむしろ他社の版を読んだほうがいい。丸山真男の解説は難しすぎるし)。
 世の中はどうなってるのか(社会科学)と人間いかに生きるべきか(倫理)という、
ある意味で水と油の分野をくっつけようとしたところに、この本の大切さはあるので、
まずはそういう部分を気にして読むとよい。
でも、それだけでは物足りない。なぜか?
 この本の初版が出た頃の中学生は(そう、数多くのコペル君は)、
学徒出陣を経て数多くが戦死したと言う話を聞いたことがある。
いかに生きるか、という選択肢は「ありえない」時代。
戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」を書いた人の中に、
数多くのコペル君がいたと思うと何やら慄然とするものがある。
こうした歴史的背景を押さえて読むと、この本の重みがよーくわかるのだ。

史上最強の論理パズル―ポイントを見抜く力を養う60問 (講談社ブルーバックス)

小野田御大の論理パズルシリーズ。
ブルーバックスから出ているものであればどれから手を付けてもOKだ。
さて、本書の特徴はというと・・・・
週刊誌に連載されていたものなので、比較的短時間で解ける(はず)もの。
解くときの目標は1分から2分程度か。
条件の一つを真と仮定した時に、結果としてどうなるかを吟味するような問題が多い。
くれぐれも読者は、問題を解いて答えあわせをして、
一喜一憂するだけの読み方をしないように。
本書の妙味は「論理的に考えるポイント」という短い文章にあるのだ。
<既に何を考えたかを覚える>
<思い込みに注意する>
<コツコツ考えることを軽視しない>等々の御託宣の数々は、いちいち納得。
コラムにあるゲーデル不完全性定理の説明は、実に簡潔でエレガントである。

富士山頂 新田次郎著(文春文庫)

2004年から富士山の観測所が無人化された。
このニュースを目にした時、やはり、新田次郎のこの作品を思い出してしまう。
国家的プロジェクト。

日本一の山。
自然条件の困難、組織的軋轢。
NHKプロジェクトXの素材には格好の、富士山レーダー設置事業である。

作者も気象庁関係者として富士山に関わっており、
まさにこの本を書くのに最適の人物といえる。
主人公も作家と役人を兼業している存在として形づくられている以上、
そこに作者自身の投影を見るのは不自然ではない。
たしかに、数多の困難を乗り越えて、プロジェクトは成功する。

テレビ的にはそこで話が終わるのだろう。
だが本書の真価はそんなところにあるのだろうか?
主計官との予算を巡る攻防、内部での根回し、他部署との軋轢、

そして突出した存在への風当たり。
カタルシスをもって締めることを許さない、
組織生活のリアルを作者はきちんと描いている。
苦い読後感を持とうとも、読者はそれらを受け止めるべきなのだ。
とくに本書198ページの会話ときたら!

2015年11月4日水曜日

TOEFL TEST対策完全英文法 阿部 友直著

評価の分かれる一冊だ。

ワタクシ個人は非常に評価しているのだが・・・。
まず、分厚い。圧倒的な分量なので、途中で挫折するリスクが高い。
したがって、直前期に初めから読み込むといった使い方はお勧めできない。
また、他の書評レビューアーが書かれているように、
あるていど文法的知識を貯めてから本書に手をつけるべきかもしれない。
以上のような一般的印象を述べた上で、本書の長所。

1.副詞・副詞句・副詞節に注目した文型の解説。
いろいろと文法書に手をつけたけれども、この点を明快に語る本は他になさそうだ。
この論点を注意することで、英語の構造に関する見方が「変わる」。

2.STAGE3、TOEFLのローカルルールに関する解説をここまで語った本はない。
文法的にはOKでも、スタイルとしてはダメ、TOEFL的にはダメ、という論点が結構ある。
この点を踏まえているかどうかで、得点の伸びに差が出るだろう。
時間のない読者はこのステージだけでも目を通すべきだ。

本書をどう、使いこなすべきだろう?
まずは通読し、気になる箇所にアンダーラインをし、2回目に精読。
気になる箇所をカード化し、以降はカードの暗記に励む。
本番前にステージ3を見て・・・といった使い方をワタクシはしたが。

3ヶ月以上の時間的余裕がある読者向けの本といえる。

朽ちていった命:被曝治療83日間の記録(新潮文庫)

2011年3月26日以来、福島第一原子力発電所では事態収拾作業が続けられている。
通常の1万倍という放射線の環境下、東電側の不手際で作業員が被曝するという事態まで
起きてしまった。

このような時だからこそ、十年近く前の東海村JCO臨界事故のことを想起すべき、と考える。

舞台は東大病院の無菌治療室。JCOの作業員として20シーベルト(今やこの数値が何を物語るか
わざわざ説明する必要はないだろう)の放射線を浴びた35歳の男性。

入院時は意識もはっきりしていた。しかし、事態は11日目ごろから急転する。
「こんなの嫌だ。このまま治療をやめて、家に帰る。帰る」
「おれはモルモットじゃない」
致死率100%ー文庫の口絵にある右手の変化の写真が痛ましい。
そして、被曝によって生命の設計図である染色体が崩壊してしまう画像。
まさに、朽ちていく染色体、朽ちていく「いのち」なのである。

このような事態に至って、治療行為、延命にいかなる意味があるのか?
医師、看護師の葛藤に関する記述が重い。

男性がなくなった後、主治医は記者会見でこう述べる。
「原子力防災の施策のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある立場の方々の猛省を促したい」

私たちは、この事件から教訓を得たのだろうか・・・・答えは否である。
<協力会社>という形で作業されている方々の環境。
線量計がない、だとか、長靴がない、といった報道に接するにつけ、暗澹たる気分になる。
そしてなにより、元請の会社に対する怒りを覚える。
日々、このような報道に接するたび、上記の疑問を抱かれる方は是非一読されたい。
今日も福島では「直ちに」影響が出るレベルで作業されている方々がいることを想起しながら。